『地図から消えた国..』

「地図にない国をに行きました」 



ちょうど2年前、ベルリンに行きました。

 

ワルシャワから飛行機で数時間で着きました。

 

帰国まで一か月を切り、時間が惜しかったので

空路を選びました。

 

バス、列車を使い、ベルリン中心部まで

辿り着きました。

 

「Berlin Alexanderplatz Bahnhof」

 

という駅を降り、初めてのベルリン観光は

どこか80年代のUFOを彷彿とさせる

テレビ塔でした。

 

西欧とはいうものの曇りという

天候もあってか、どこか人は賑やかで

ありながらも印象は薄暗い印象でした。

 

街が暗いのではなく、観光した場所が

そう思わせたのでしょうか。

 

DDR博物館、ベルリンの壁、収容所後、

ポツダム広場など旧東ベルリンの痕跡を

めぐる妙な観光でした。

 

これらを観光地に選んだ理由は、

 

・激動の時代の痕跡を見たいから

社会主義の痕跡が見れる

 

です。

 

正直、ドイツにはあまり興味が

なかったのですが、2か月近く

同じ都市に滞在していると、

隣国に行かないのはもったいないと

感じていました。

 

そこで、東欧、旧共産圏つながりで、

分割されていたベルリンを見学して

おこうとなったわけです。

 

ベルリンは妙な街です。

 

1)最先端で都会的な顔、

2)20世紀の痕跡が残る顔、

3)古典的で観光が楽しめる顔が

混在し、多くの人を魅了している

理由がわかるような気がしました。

 

特に印象深かった場所は、

 

『Gedenkstätte Berliner Mauer』

 

と言われている場所です。

 

ベルリンの壁、そして、監視塔などが

残っている場所です。

 

実際近くで壁を見てみると、

相当分厚く、壁は内側にもう一つあり、

当時は溝も掘られており、

西側へ脱失することがいかに困難で

あったことが容易に推測できました。

 

そんな強固な警備の壁を命がけで

脱出するほど東の様子は酷い様子

だったのでしょう。

 

掘られたトンネルの痕も記されていました。

 

この場所はポップな観光場所、

イーストサイドギャラリーとは異なり、

東西ドイツ冷戦を嫌でも考えさせられる

興味深い場所でした。

 

ぜひ、ベルリンに行く機会がある人は

訪れてみてください。

 

冷戦に触れることができるチャンスです。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

 

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www.google.co.jp

 

 

 

新年のご挨拶

 

明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

 

多くの人が正月に今年の抱負を決意されると思いますので、

私もこれに便乗して見たいと思います。

 

今年の目標の一つは長所に気づき、伸ばすことです。

 

知らない知らない間に自身の長所をスルーして短所にばかり終点を置く性質であるらしいので、できれば、

自分の特技、周囲の特技に気づき、フィードバックしていこうと思います。

 

『じゃあ、あなたの長所ってなんだよ』

 

とか

 

『長所とかあるのかよ』

 

とか

 

疑問がポツリポツリと湧いてきそうなので、ここで、

自分で言うのもなんですが、奇妙な長所を一つ紹介したいと思います。

 

『個別の美しさを見る』

 

ことです。

 

言い切っていますが、とある『旅』にてフィーバックをもらったものなので周囲から見ると、そういうことなのかもしれません。

 

そういわれれば無意識に何か美点を探しているな、と思います。

 

特に、王道の美点というより、やや外れた感がある、『人、もの、空間』

に美点を探していると思います。

 

いうなれば、ポップスターよりアングラの大御所、メインカルチャーよりサブカルチャー世界遺産より負の遺産

 

そこに、強烈なパッションが湧いてきます。

 

他の人はわかりませんが、尋常でなく盲目的な行動力が湧いてきます。

 

かわいそうだからとか、仲間外れだからとか、そういった部類の感情からではなく、ただ、それらにアリエナイほど意識を奪われます。

 

なので、今年はそういった意識を奪われるものに触れつつ、周囲の人の長所をフィードバックして行ければと思います。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

 

追伸

 

意識を31%正体不明にする映像

youtu.be



『長野新地』 の変容化..11月末まで限定公開中

『変容する旧青線地帯』



先日、河内長野市の温泉街として栄華を極めたであろう

旧長野新地へ足を運んだ。

 

小規模の温泉街だが最近の新地解体ブームに便乗しないだろうかとやや不安が頭をよぎったのでカメラに収める、あわよくば、最盛期を存じている方に話が聞ければいいという思いもあった。

 

この近鉄南大阪線河内長野駅東出口を出て、進学塾やパーマ屋さんが並ぶ通りの一角をすぎると『八重別館』と書かれた看板のアーチが登場する。

 

その異世界のアーチをくぐり何やら昭和の色酒場のような

建物を横目に、黄金橋を渡った右手奥に方に、かつて温泉街として栄えたであろう『三陽荘』(みはるそう)というお目当てに対面することとなる。

 

この辺りで温泉街として今も営業を続けているのは三陽荘の手前にある『八重別館』、そして、先ほどの通り沿いに静かにたたずむ『おばな旅館』、三陽荘を越えた丘の上にどっしりと構えた『河内長野荘』ぐらいだと思う。

 

今回は一味違う角度からも撮ってみたいと思い、丘の上の河内長野荘から下りながらカメラを回してみようと思った。

 

河内長野荘から坂を下り、Uターンすると『三陽荘』の玄関口とハイタッチすることとなる。

 

玄関付近は木の真下にあるだけあって落葉の絨毯が敷かれたように茶褐色で、いくつかのホースやバケツが何年もの間放置されたようにうずくまっていた。

 

この一風変わった丸い窓を持つ三陽荘は、木造二階建てで、各窓には几帳面にも木造の小さなベランダ?がもれなくついている。

 

さすがに居住者はいないせいか、ツタが生い茂り、外壁ははがれ、看板は道に放置され、荒れ果てた姿になっている。

 

久々の人の訪問にどこか、寂しく『こんにちは..』とつぶやているようにも見えた。

 

その小さな挨拶に返答し、坂を下るカタチで秋の三陽荘をカメラに向けていると、上階から何やら人の声が。

 

どうやら三陽荘の持ち主が掃除をしているみたいだ。

 

もしかすると、この旅館について詳しく話が聞けるかもしれないし、庭先を許可のもと堂々と撮影できるかも。

 

私は4秒迷ったが5秒後には足が動いていた。

 

『こんにちは、こちらのオーナーさんですか?』

  

続きは、、

 

こちら

幸せを『おすそ分け』させて下さい。

『わたしはままのたからもの』

 

この言葉、すごく安心感があります。
ページを開けた瞬間、ピンと張った白い糸が
ふわっと緩む感じです。

 

先日、めいのために購入し、私も読んでみました。

 

子供が本能的に求める安心感、、それよりも
人が本能的に求めている安心感なのでしょうか、
ストレス社会を生きている私たち大人でさえも
いつか忘れていたような安心に出会える絵本です。

 

また、この本と合わせて子供とのスキンシップを
はかり、子供には持ち合わせて欲しい、
『喜び、想いやり、安心感』をお母さんが体験
させてあげ、こんな時代だからこそ一層大切にしたい、
幸せな親子関係、家族関係を育むのもありだと思います。

 

異国の地で母としての妹がこの本を手に取り、
めいに読み聞かせてあげている温かい光景が目に
浮かびました。

 

ありがとうございました。

 

あまえんぼうちゃん
さく ルルシータ

www.amazon.co.jp

アテネ行の便に乗り遅れたようです。

アテネ行の便に乗り遅れたようです。

 

 

こんにちは、アーストラベラーです。

実、まだ旅の途中です。

私は2018年から東欧を縦断しているところです。

実はまだ帰路ではありません。

『何を言っているんだ』、『日本にいるじゃないか』、『嘘つき』

そういう声も聞こえるかもしれません。

はい、日本にいます。

というのも、2018年から段階的に旅をしているからです。

2018年は

ワルシャワクラクフプラハ

この区間を陸路で旅しました。

2019年は

サラエボベルグラーデ~スコピエプリシュティナスコピエ~ソフィア』

この区間を陸路で移動しました。
(この区間以外の旅は完全に陸路ではありません。)


最南端は北マケドニアの首都スコピエまでです。


今後スコピエからアテネまたはバルカン最南端まで
行く予定です。


現状、2019年のソフィアまでの動画を編集しましたので
youtubeへアップロードしています。


また、今年の12月末日までに
2018年の旅についてのデジタルブックを
Amazonから出す予定です。


多分100円くらいで出すと思います。

動画とともにノンフィクションを楽しんでもらえたら幸いです。

最後までお読みくださりありがとうございました。

 

東欧の途上国

www.youtube.com




30/4/2019 Vol.3 ヘラーさんの親切さに感動したので"ヴィラ"を少しだけ紹介!!

30/04/19

 

こんにちは、アーストラベラーのYUKIです。

 

前回でお世話になったヘラーさんの

お部屋を紹介したいともいます。

普通の部屋ならば、そこまで紹介する必要がないのですが、

準備中の部屋にも関わらず、

その部屋は、

寝室二つ、最新のオーダーメイドキッチン、

バスルーム、あと、相当広いリビングが貸切の部屋である。(暖炉もあるよ)
↓↓


【Secret】Bosnia-Herzegovina Sarajevo 2019/4/30 Villa

 

 


ドタキャンを食らった宿は二日とっていたが、

次の日、

さすがにその宿に泊まろうとは200%思わなかったので、

あくる日もHerrさんにお願いして、泊めていただいた。

一日目の宿泊料を払うため、彼の部屋を訪れたのだが、

 

なんと、お金はいいとのこと。何ていう人だ、、

しかし、こんなに親切にしてもらって、

この贅沢な部屋にタダで泊まる気はしなかったので

無理矢理、本来の宿代である

20ユーロを手渡した。


サラエボ到着早々、なんという一日だったんだろう。

想定外のドタキャンのおかげで、素晴らしい人に

二人も会うことができ、こっそり、

ドタキャンオーナーにも感謝!!


サラエボ最終日(5/5)のHerrさんの部屋も載せておいた。

相変わらず、20ユーロじゃ贅沢すぎる部屋!!
↓↓


【Secret】Bosnia-Herzegovina Sarajevo 2019/5/5


彼の宿はBooking.com、Airbnbどちらからでも予約することができる。
↓↓

www.booking.com

このリンクから予約&滞在すると、あなたに¥2,000キャッシュバックされます。

↓↓

Booking.com: 28,612,755 hotel and property listings worldwide. 180+ million hotel reviews.

www.airbnb.jp

こちらのリンクより予約、滞在されると¥5,088OFFになります。

↓↓

www.airbnb.jp

 


もちろん、HerrさんとはWhatsappで連絡は取っており

ブラザーの仲である。(マジで)

 

 

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29/4/2019 Vol.2 暗黒のパーカー男

空港から出て、日も落ちた、そして、歩道がない、ハイウェイ

をマップにしたがい、ヘラー氏のビラへ。

 

泊まるところが見つかり、少しは安心したのだが、

残念なことに、(知ってたけど)近くまでは来たけれど、

初めて来た場所、そして、この暗闇、一瞬で

宿にたどり着けるはずもなく、、

 

そこへ、うす暗闇からパーカーをかぶり、怪しげに、

向かってくる一人の男の人。。(向こうからしたら

こんな夜にバックパックを担いだ怪しい東洋人)

 

かなり、躊躇したが、話かけてみることにした。

(東ヨーロッパ、バルカンではパーカーをかぶっていても

日本のように怪しくないようす、しょっちゅう雨が降るためもあるらしい。

それよりもマスクをしていた方が断然怪しまれる)

 

"Hello"

 

なんとか英語は通じたみたい。

事情をささっと説明して、場所を教えてもらえることに。

彼はこのあたりに住んでいるイラン人らしい。

 

ヤバイ人かな、、しかし、悩んでる暇もなく、

私は彼に話かけていた。

"この宿に泊まりたいんだけど、君わかる?"

私は現地SIMを持っていないので電話はおろか、

ネットにも繋げない。。
彼にネットに繋げない旨を伝えると、、


なんと彼は自分のスマホをデザリングしてくれ、

私がネットに繋げるようにしてくれた。

 

  

ホントに??

 

パーカー男はすぐさま、"超親切なイケメン兄ちゃん"に変わった。

ネットにつながせてもらえば、こっちのもの。

さっそく、ヘラーさんへWhatsUPで連絡,

家から出てきてもらい、ようやく、宿に到着!

 

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昼間ならこんなかんじ。

 

パーカー男には本当に感謝、彼がいなかったら、

数時間ヘラーさんの別荘を知らない外国で、暗闇の中、

探し回っていたかもしれない。

 

彼にはあとの食事の買い出しでスーパーで出会い、

タバコとお酒をご馳走させてもらいました。

 

サラエボ初日からハプニングに見舞われたけれど、

親切な2人に巡り合い、本当に感謝しかない素晴らしい

夜になりました。

 

次は、

Vol.3 サラエボの別荘(ヘラーさんのすごい別荘をご紹介します)