『北マケドニアで密造酒を飲まされました』

北マケドニアで密造酒を飲む方法』



昨日、自宅で吐血しました。

 

厳密にいうと吐血ではなく、

リバースです。

 

弱っている胃腸へ強引に

赤紫色の野菜ジュースを

流し込んだからです。

 

全てのジュースを飲み切った直後、

胸に異常なほどの吐き気を

催しました。

 

その2分後、事態は最悪の

シナリオを描きました。

 

数年ぶりでしょうか。

 

約2時間ほど吐き気は収まらず、

そのあとに、病院へ向かいました。

 

医師の前に座るころには

吐き気は収まり、落ち着きを

取り戻していました。

 

原因はおよそ、昨日の揚げ物

ではないかと疑っています。

 

そう、惣菜コーナーのものです。

 

日頃から体調管理に気を付けて、

ガチな野菜ジュースや水分摂取に、

高コレストロールを避けていました。

 

が、昨晩のトランス脂肪酸祭りのおかげで

胃が無自覚に破綻していたようです。

 

もともと、揚げ物や肉の脂肪が苦手、

というか食べ過ぎるとリバースする

体質なので注意した方が良かったのですが、

うっかりしていました。

 

そんな弱った胃の状態に、渋い皮つきビーツ、

生姜などがリバースを煽ったのでしょう。

 

愚行でした。

 

正直、北マケドニアの水道水、

自家製密造酒を摂取しても

何事もなく生活していたので

昔と比べ胃腸は強くなったものだと

勘違いしていました。

 

あれは、ベオグラードからプリシュティナ

スコピエ経由で一晩滞在した

ダルコ宅でのおもてなしでした。

 

例のごとくセルビアから北マケドニアへの

国境で何人かのパスポートトラブルが

起こり、バスは3時間以上の遅延を

起こしていました。

 

そのせいもあり、首都スコピエへの

到着は夜の23時頃でした。

 

当然、その時間から初めての国で

滞在先を探さなければなりません。

 

しかも、早く探さないと滞在先の彼は

就寝してしまうかもしれません。

 

就寝してしまえば、異国の路上で一夜を

明かすしかありません。

 

また、バスを降りてからというもの

タクシーの呼び込みや変な輩がしきりに

つきまとってきます。

 

とにかく必死です。

 

いや、命がけです。

 

とにかく、わずかなWIFIを頼りに

Iphoneのオフラインマップを

起動させました。

 

GPSwifiがなくとも動くので、

それらを頼りに彼の家へ

30分で辿り着くことができました。

 

今思えばマジで奇跡です。

 

今、もう一度行け、

 

と言われても恐らく

無理だと思います。

 

これが本当の『火事場の糞力』

というものだと思います。

 

そこで、ひと休憩ついて

行われたのが、マリファナパーティー

ではなく、密造酒のささやかな

乾杯でした。

 

お互いの身の上話をし、

彼のお気に入りの密造酒を

振舞われました。

 

正直、自家製酒は拒否したかったですが、

彼のように見ず知らずの

アジア人に親切にしてくれる

その心を拒否するわけにはいきません。

 

ありがたく頂くことにしました。

 

彼もその振舞いに喜んだようで、

また別な密造酒を振舞ってきました。

 

一つは焼酎のようなもの、

もう一つは癖のないウォッカ

ようなものでした。

 

案外、大丈夫でした。

 

原料を聞いたら、吐くかもしれなかったので

辞めておきました。

 

彼は自家製煙草を作りながら、

こう語りました。

 

俺は昔、リフォーム業を

やっていたんだが、

今はパートタイムの仕事を

たまにしてる。

 

この国では仕事がない、そういう

人がたくさんいる。

 

君の国はどうだ?

 

そんな具合でした。

 

言いたいことはたくさん

ありましたが、英語力が

ついてこず苦戦を強いられました。

 

また、丸一日、移動日であり、

なおかつ翌朝、プリシュティナ行の

バスに乗らなければなかったため

お礼をいい、床に着くことにしました。

 

最後に水をくれというと、

彼は水道水をコップにくれました。

 

北マケドニアの水道水を飲め、

というようです。

 

彼は「ドリンカブル」とひとこと言い、

コップをくれました。

 

半信半疑でしたが、彼の言葉を

信じることにしました。

 

美味いとは言えませんでしたが、

いうほど臭みもなく、スッキリ

したものでした。

 

今思うと、浄水器が下に

入っていたのかもしれません。

 

翌朝、彼は昨日の密造酒を一杯

飲み干した後、スコピエ市内を

案内したいと言いました。

 

私はバスの時間を確認し、

承諾しました。

 

彼の車で観光地区まで

向かいました。

 

今思えば、飲酒運転です。

 

北マケドニアはアルコール運転OK

なのでしょうか、わかりませんが、

クレージーですが、いいやつです。

 

北マケドニアの観光は微妙でしたが、

彼との会話は今後一生忘れることが

ないでしょう。

 

近い将来、もう一度、彼と密造酒ではなく

ウォッカを片手に話をしてみたいと思う

今日この頃です。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

 

追伸

 

ダルコ氏によるスコピエのガイド


www.youtube.com

 

追伸2

 

北マケドニアの首都スコピエへ行きたい、

密造酒を飲みたい、そう思う方がいれば、

ぜひ、ご連絡をください。

 

彼にコンタクトをとってみます。

『左腕にマイクロチップを多分埋め込まれました』

『左腕にマイクロチップを多分埋め込まれました』

 

 

先日、身元を引き換えにコロナワクチンを

手に入れました。

 

私の個人情報はファイザー社に

売られたのでしょうか。

 

巷で様々な憶測が飛び交っていますが、

その真意はわかりません。

 

が、

 

一つ言えることは、安心感を

手に入れたことです。

 

何も摂取せず、トレーニングや

食事などで免疫を上げるよりは

感染しずらいのではということもあります。

 

が、一番は、『ワクチン未接種』という

部類として周囲から白い目で見られ、

まるで、犯罪者、あるいは、非国民のごとく

批判され、差別されることを避けたいから

かもしれません

 

日本で日本人なら差別という感覚は

薄いかもしれませんが、ひとたび、

海外に出れば、差別は日常茶飯事です。

 

なぜなら、マイノリティーになるからです。

 

海外に住んだ経験がある人はわかると思いますが、

多かれ少なかれ差別は100%存在します。

 

もちろん、気のせいと思うようなこともありますが、

明らかに差別ということもあります。

 

例えば、通りすがりの学生が嘲笑を浮かべ、

『チャイナ』などとぼやかれることが

多々ありました。

 

周囲にアジア人は私以外おらず、明らかです。

 

その日一日がネガティブな気持ちになり、

心の中で、この国の人たちは、

小馬鹿にしているんだな、と被害妄想に

陥ることもあります。

 

メンタルがやられます。

 

特に、欧州、とりわけ、白人が多数を占める

国においてはそういうことが多かったと思います。

 

反対に、香港、台湾、中国に行くと、まず、

話さなければ、外人と思われることはないです。

 

居心地がよいです。

 

日本で言う「中国は日本人嫌い」なんて

一部の話だと実感しました。

 

私が訪中した、上海の西に位置する『蘇州市』では

レストランで憧れのまなざしで「日本人」ですか?と

若い人から声をかけられたことがあります。

 

また、道を聞いても親切にほぼ100%

道を教えてくれる人ばかりでした。

 

もちろん、全ての人が日本人を好きなわけではない

と思いますが、概ねメディアの陰謀だと思います。

 

話がそれましたが、コロナウイルス自体も

恐ろしですが、それ以上にそれらに怯えた

『人』の行動の方がどう見ても恐ろしいと

感じるのは私だけでしょうか?

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

『アドリア海で「飛行石」を見ました』


魔女の宅急便の街に行ってきました』 

 



アドリア海が金の卵を食べる瞬間を目撃しました。

 

落日の金色の光が真っ青なアドリア海

ゴクリと飲み込まれている、そんな絶景です。

 

100万ドルの夜景、、そんなの詐欺に見えます。

 

そこは、ヨーロッパの小さな港町です。

 

なおかつ、街の名前さえ知らない人が

99%以上、日本ではいると思います。

 

なぜならば、私も2年前までは

全くをもって知らなかったからです。

 

旅行先を検索中、たまたま地図上で

発見した街だからです。

 

情報も少ないので行く方法も手探りでした。

 

誰かのブログさえなく、グーグルマップの

ルート案内も怪しかったです。

 

なので、現地バス会社のサイトを

もとに予約を入れました。

 

海外バス旅行あるあるですが、

トラブルだらけでした。

 

ザグレブからの出発が30分ほど遅延し、

乗車バス番号、ターミナル番号はぐちゃぐちゃ。

 

・イタリア国境で乗車客のパスポートトラブル

で30分立ち往生。

 

・乗り換え地トリエステにて約2時間遅延のため、

次のバスに乗り遅れる。

 

・次のバスまで12時間待ち。

 

・乗り遅れたチケットを返金しないFLIXBUS

 

・次のバスがこれまた40分遅延のため

目的地に2時間遅れの23時に到着。

 

・就寝中のドミトリー部屋に

24時にチェックイン

 

と、一日で4都市を経験し、

待ちくたびれて首が3mm長くなった

気がする移動日でした。

 

が、もちろん良かった点もありました。

 

1)海外旅行トラブルにビビらなくなった

 

2)スルーのはずの『トリエステ』を

しっかりと観光できた

 

3)自分史上最強のリゾート地を発見した

 

ことです。

 

魔女の宅急便で有名なクロアチア

ドブロブニク』に雰囲気が似ていますが、

あれほど有名ではなく、ヨーロッパでは

知る人ぞ知る街かもしれません。

 

岬を一望できる教会からは水色の空と

真っ青なアドリア海が背中を合わせ、

落日の金色の光が港町をオレンジ一色に

染め上げている光景がほぼ100%の確率で

脳裏に刻まれます。

 

プライスレスです。

 

正直、ここに居座る方法を

あれこれと考えたくらいです。

 

その日、一日のトラブルを

全肯定できる絶景です。

 

恐らく、機嫌の悪い社長に始末書を提出しても

ほぼ100%の確率で理由なく昇進すると思います。

 

ぜひ、試してみてください。

 

辞表を提出しても昇進する映像 ⇩

 

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世界一美しい『墓地』を知っていますか?

『美貌の街リヴィウ



前回に続き、海外デモのお話です。

 

前回の話 キエフ愛国者↓↓

https://insidtravell.hatenadiary.com/entry/2021/07/26/084416

 

キエフを後に空路で『リヴィウ』という

ポーランド寄りの街に一週間ほど

滞在していました。

 

東欧一周最後の街になります。

 

この街は、『アンチロシア』な

人が多いと聞きました。

 

ソビエトであったことは言うまでもなく、

言語もロシア語ではなくウクライナ語が

使われています。

 

そして、なにより、リヴィウ市庁舎前で、

ウクライナ国旗を掲げたデモ隊がテントを張り、

演説していたからです。

 

その他にも小さな軍事パレードが

行われており、街中軍人さん

歩いていました。

 

ガイドはさほど焦ることなく、

いつものことだと話していましたが、

旅行者にとり、かなりの恐怖です。

 

武装はしていませんでしたが、

装甲車も止まっており、

旅行者にとり、どこか不安に

なる様な環境でした

 

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そんな雰囲気もあり、展望台の

市庁舎にも上がらせてくれませんでした。

 

私の前の欧州人は止められることなく

入っていきましたが、アジア人は

ダメなようです。

 

「クローズド」

 

と言われました。

 

止めた兵士の心が閉鎖的だわ、と

心の中でこっそり思いました。

 

が、ここで揉めると、手錠を

かけられそうなので、素直に

従うことにしました。

 

ただ、このようなことを除けば、

リヴィウ』は素晴らしい街です。

 

ここがウクライナとは思えない

可愛くておとぎ話の舞台のような街です。

 

13世紀からの旧市街歴史地区は

もちろん世界遺産です。

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また、郊外には世界一美しい墓地があります。

 

なぜか、墓地なのに入場料を取られますが、

美術品ような墓石、石碑が鎮座しています。

 

リヴィウ市に行くならば外せない

観光スポットです。

 

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これらは墓地のほんの一部であり、
墓地の敷地はかなり広大です。

 

 

観光は半日かけて楽しむことができました。

 

時間を短縮したい場合は、

観光ガイドを頼むといいです。

 

誰のお墓なのか、物語付きで

説明してくれます。

 

また、ウクライナ人墓地と

隣国ポーランド人墓地が

きっちり区分けされておりました。

 

これらに何かしらの意味があるのでしょう。

 

そうはいっても、ウクライナの国の

マークはかっこいいです。

 

どこか架空の帝国のようなマークです。

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それと付随して、怖かった旗が

赤と黒』の旗です。

 

色合いがとても攻撃的で、

持っている人もどこか強面

な感じがしました。

 

それもそのはず、あとで調べたら、

ウクライナ蜂起軍』の旗でした。

 

西ウクライナ第二次世界大戦から

赤軍とドイツ軍に抵抗していた

レジスタンスが掲げてきた旗

ということです。

 

要は、『愛国者』たちです。

 

何も知らない外国人でさえ、

何かしらの恐怖を感じさせる

旗です。

 

旅行中はこれらの旗に近づかないことを

お勧めします。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

『ウクライナの愛国者たち』

ウクライナの抗議団体に出くわしました。』




前記事に続き、海外デモについての

記事になります。

 

前記事(ユダヤ人と警官の衝突)

https://insidtravell.hatenadiary.com/entry/2021/07/25/094547

 

キエフに一週間滞在していた時、

数百名ほどの強面集団が国旗を片手に

官庁前の大通りを行進していました。

 

カメラに写っていないところにも

多くの人が旗を持ち歩いています。

 

正直、心臓がバクバクしました。

 

なぜならば、ウクライナとロシアの間では

2014年から軍事紛争が今なお(2021年)起こっており、

それらの映像を旅行前に見ていたからです。

 

少し距離を起き、カメラを回し、

様子を撮影していました。

 

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2019年5月Kievより

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武闘派のようです...


ロシア語、ウクライナ語がわからないため

現場の詳細はわかりませんでした。

 

キエフ滞在先に帰り、ホストマザーに

聞いてみると、

 

「あれはヨーロッパの日のパレードよ」

 

てなことをでたらめな英語で

いつものことのごとく話されていました。

 

英語が不得意なホストマザーなので、

説明不足であろうとは思いますが、

何らかの抗議であろうことは

間違いありませんでした。

 

ウクライナ愛国心が非常に

強い国だと私は感じました。



滞在先(老夫婦)のアパートに

私が戻っていくと、近隣の住民たちが

彼らを心配し、とやかく質問された

記憶があります。

 

とくに何かをやらかしたわけでは

ありませんが、アジア人が近所の

老夫婦宅に侵入しているのではないかと

思われたのでしょう。

 

ご近所想いの人達です。

 

やはり、何処の国でも外国人は

怪しいものです。

 

キエフに限らず、リヴィウでも

デモに遭遇したこともあって、

ウクライナのイメージは少し

怖さを感じました。

 

やはり軍事的緊張が続いていることが

要因かと思われます。

 

通常の観光ではそれらに巻き込まれることは

ありませんでしたが、むやみに、

頭を突っ込まないことが安全だと思います。

 

キエフに行く際は現地ニュースを

しっかりと把握し行った方がよいと

思います。

 

最後までお読みくださりありがとうございます。

 

『青いファシスト』

ポーランドでデモを目撃しました。』



それは、一人のユダヤ人が警官に対し、

抗議のメッセージを向けたのが始まりでした。

 

2年前の7月の夕方、現場はポーランド

クラクフ市にあるユダヤ

コミュニティセンター前です。

 

当時、そこをゴールとする自転車イベントが

行われており、それらを整理するため、

そして、問題が起きないよう取締も兼て

警官がいました。

 

私が、ちょうどカメラ片手に観光を

していたとき、それは起こりました。

 

警官が老人の抗議のプラカードを

捥ぎ取ったのです。

 

それに怒ったユダヤ人は警官と

もみ合いになりました。

 

すぐさま、応援のパトカーや、白バイが

何台も駆けつけ、事態は騒然となりました。

 

恐らく、彼がユダヤ人でなく、

タダの酔っぱらいであれば

このような騒ぎになることは

なかったでしょう。

 

それほど、宗教というものは、ここ

クラクフでは大きな問題、とりわけ、

過去を振り返るとセンシティブな

問題です。

 

ここは過去ナチスユダヤ人を

迫害した痕跡が多く残る場所であり、

近くには、ゲットー跡、

オスカーシンドラーなどの博物館、

もあり、ユダヤ人らが強いられた

過去を世界中の人達が学ぶ場所で

あるからです。

 

これらユダヤ人街のカジミエシュ地区を

堪能する方法は、

 

1)日本語ガイドを雇う

2)無料ガイドツアーに参加する(英語のみ)

3)ゴルフカートツアーに参加する(英語のみ)

 

などがあります。

 

が、

 

1)日本語ガイドは高額です。

 

2)、3)は英語が理解できればベターですが

そうでもなければもったいないです。

 

観光は王道ルートが一本あれば、時間の

短縮になります。

 

日本語であればなおもよいです。

 

もちろん、無料であればいうまでもないです。

 

これら3つの良いところをかけ合わせた

簡単なクラクフ観光ルートマップあります。

 

旅行に行く際の参考になれば幸いです。

 

クラクフ観光を無料で楽しむ方法(無料)

 https://insidtravell.hatenadiary.com/entry/2019/10/27/213424

『火星を楽しむ方法』

FEZを楽しむ方法』



先日、路上で命乞いをしました。

 

車が仕事を放棄したためです。

 

カギを回しても弱々しい金切り声を

上げるだけでエンジンはかかりません。

 

真夏の太陽が体力と精神力を

容赦なく貪り食います...

 

体中から類を見ない発汗が起こり、

意識が徐々に遠のいていきます。

 

夢中で会社にホットラインを

入れました。

 

それら、救援隊を持っている間、

13年前のモロッコを思い出しました。

 

サハラ砂漠へ向かう途中の路上で

遭遇した物乞いについてです。

 

40度以上の気温で建物も何もない

一本道で彼らは物乞いをしていました。

 

いったいどうやって、そこに来たのか、

いったいどうやって、この砂漠で

過ごすつもりなのか、気になりました。

 

水がなければ生存不可能な環境です。

 

『火星』といえばわかりやすいでしょうか。

 

見渡す限り、岩と砂が広がった

無機質なところです。

 

あの砂漠ならば、衛星電話の

ようなものがいると思います。

 

不得意な英語ではこれらを現地ガイドに

聞くことはできませんでした。

 

が、

 

ガイドはそんな物乞いにペットボトルの

水を投げてやりました。

 

衝撃を受けたのを今でも覚えています。

 

恐らく日本であればそのような

善行をする人間は僧侶ぐらいなものでしょう。

 

私が彼の立場であれば、かわいそうだけど、

スルーしてしまっていました...

 

コーランの教えを忠実に

実践している彼は素晴らしいと

心の中で思いました。

 

もちろん、500mlの水は気休めにしか

ならない環境です。

 

運転を兼任しているガイドも

5Lのペットボトルを出発前に

買い込んでいたからです。

 

私は2Lのペットボトルを買いましたが、

ガイドが5Lの水を買い込む理由が

わかってきました。

 

行く道中にコンビニまたは店という

給水スポットがほぼなく、数十キロ離れた

街にしかレストランもなかったからです。

 

幸い、ガイドがオアシスの小さな露店?に

立ち寄ってくれたので、飲み物を買うことが

できました。

 

『水=命の源』

 

十二分に納得できる貴重な体験でした。

 

これら貴重な体験をサポートしてくれたのは

運転手兼ツーリストガイドの

 

「HICHAM」さんです。

 

FEZ』に行けば、彼にサポートを

お願いしてみるとよいです。

 

アラビア語、フランス語、英語(少々)を

話すことができます。

 

口数は多いわけではありませんが、

こちらの痒いところに手を回してくれる

現地人らしからぬガイドです。

 

当時のツアーそのものはツアー会社の

ぼったくりもいいところでしたが、

それらを十二分にカバーしてくれる

彼の静かな親切さに触れてみてください。

 

価値観がかわります。

 

 

帰国後、私が『コーラン』を買ったのは

言うまでもありません。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。



追伸



FEZ』で噂の男と合う方法↓

 

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